(6月14日土曜日)
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今回私の居住する周辺で、大型バスが通れない昔の東海道や交通量の多い主要道で、停車や駐車ができなかった場所が多数あり、後日再度訪ねてみた。権太坂(大学駅伝のコース)は五十三次から外れていることも知りました。 また、保土ヶ谷の軽部本陣跡は古い住宅に子孫がお住まいで表札がかっていました。 普段この付近で生活していても藤沢・平塚・大磯と、それぞれ初めて知ったことがありました。 |
![]() 保土ヶ谷宿本陣跡(軽部家)と塀の説明板(右と下) |
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権太坂の境木バス停付近の説明板 | 坂の途中で行き倒れになった人を葬った |
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郵便切手になった広重の戸塚は、柏尾川に架かる吉田橋。昭和61年に架け替えられた橋に広重の絵がありました |
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遊行寺本堂 | 古建築で紙を扱っているお店 | |
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歩道側に書いてある字句 | 車道側の字句 | 藤沢宿標柱 |
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江戸側にあるのを「江戸見附」京側にあるのを 「上方見附」と呼ぶ。 平塚宿はこの間東西に14町6間(約1.6km)その中に本陣・脇陣・高札場・旅籠などがあり街並みが続いていた。 平塚宿は、市民センターから古花水橋交差点までであった。 |
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![]() 鴫立庵 |
大磯に「湘南発祥の地」という石碑があり、説明板(湘南発祥の地大磯の由来)に『崇雪という人が寛文4年(1664)頃西行法師の詠んだ名歌「こころなき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮れ」を慕って草庵ををここに結び標石を立て東海道を往還する旅人に鴫立沢を示し「著盡湘南清絶地」と景勝を讃えて刻んだのがはじめです。中国湖南省にある洞庭湖のほとり湘江の南側を湘南といい、大磯がこの地に似ていることから湘南と呼ばれるようになった』 とありました。 |
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