東海道五十三次
(7月12日土曜日)

第三回 小田原宿から沼津宿


このツアーに参加して、友人知人達も東海道五十三次をいろいろな方法で実行されたことを知りました。
今回のように、バスで巡ると肝心の宿場跡や、一里塚など道路事情などで下車することができず 車窓から、ここですとせいぜいバスの速度を落とせるところは落としながら、碑や説明板のあることを 確認するぐらいで、欲求不満が募りますね。
同じバスを利用しても、予定の宿場と宿場の間は徒歩で巡るのもあり、 こちらは2年ががりだったとか。
楽をする分、宿場巡りのポイントとなる宿場跡を車窓から眺めるのも仕方がないか?



● 小田原宿あたり(9)

小田原市発行の資料「城下町・宿場町おだわらのあらまし」のコピーが配られ、
豊臣秀吉の小田原攻めに備えて。小田原北条氏が構築した
土塁や堀によってできた総延長9キロメーターといわれる「総構」の内側がその範囲で、
面積は348ヘクタールに及んでいて、江戸時代には、おの総構の内側を
「小田原府内」といい、総構を「内府構」と呼んだとか、バス内で説明があり、
小田原合戦に徳川家康に従って参戦し合戦後小田原城4万5千石が与えられた
「大久保家」の菩提寺と、明治天皇が宿泊された「本町行在所跡」で下車見学をしました。
大久保 お墓
標柱 説明板
畑宿本陣跡 一里塚
寄木細工の里あたりの「畑宿本陣茗荷屋跡」本陣跡から近い一里塚(江戸より23里)
旧街道 旧街道資料館
箱根旧街道石畳旧街道資料館





● 箱根宿あたり(10)

箱根関所は何回か来たことがあるが、建て替えられていました。
パンフレットによれば、「相州箱根御関所御修復出来形帳」が、
静岡韮山町の江戸文庫から、昭和58年に発見され、箱根町で資料の解析を行い
建物や構造物の全貌が明らかになり発掘調査を行い平成19年春に完成した。

幕府は全国53ヶ所に関所を設け、その中でも中山道の
木曽福島、碓氷、新井、そして箱根の4ヶ所は規模も大きく
もっとも重要な関所と考えられていたようです。
京口御門 江戸口御門
京口御門江戸口御門
関所内 遠見番所
関所内遠見番所
資料館 配置図
箱根関所資料館関所配置図





●三島宿あたり(11)

三島宿へ入る前に、鉾田一里塚がある。国道にも標識があった。
塚に榎の大木が樹形よくたたずみ、榎塚とも呼ばれているそうです。
一里塚 一里塚
進行方向左の一里塚進行方向右の一里塚
説明板 国道の標識
一里塚の説明板(江戸より28里とある)国道の標識


○ 三嶋大社と長沢八幡宮
源頼朝が源氏再興を祈願し、成就後社殿を造営した
「三嶋大社」と平家追討のため、黄瀬川八幡に本営を造営した兄頼朝支援のため
はるばる奥州より駆け付けた義経と境内で対面し、平家打倒を誓い合った「八幡神社」によりました。

神社正面 説明者
三嶋大社正面今回ツアーの説明者
神門 本殿
神門本殿
説明板 案内板
付近に暦発祥の地の記念館があるとか、通路と塀に道案内がありました。
八幡神社 説明板
源頼朝・義経兄弟が対面記念に植えた「ねじり柿」2本と「対面石」がある、八幡神社


三嶋大社では、十分すぎるほど時間があり今年最高温度になって境内の売店では
「かき氷」が売れて忙しかったと売店の方が話していました。

売店の方に「見ておいたほうが良いというところありませんか?」と聞いたところ
「暦の館」がありますと。道路に道しるべが埋められているから迷わず行けますよ
とのことで、途中まで行きましたが集合時間に遅れるので戻ってきました。
もっと早く聞いて行動していればと残念でした。




● 沼津宿あたり(12)

高速道そばの干物屋へ、トイレ休憩をかねお土産屋さんへ寄っただけです。
一里塚 バスの車中であれが玉砥石・一里塚ですと説明があり車窓からあわただしく写真を撮りました。

この写真がなかったら沼津宿はな〜んにも記録がありませんでした。

欲求不満が残ると同時に、拍子ぬけしました。


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