東海道五十三次
(9月9日 火曜日)

第五回 江尻宿から岡部宿


前四回まで土曜コースで参加したが、今回は土曜日所用のため平日コースを選択。当然であるが参加者顔ぶれも違い、人数も少なくバスも30人乗りぐらいの中型であった。
「江尻宿」から始まるので清水インターまでまっしぐら、秋晴れのお天気で富士山を眺めながらのバス旅でした。
前回は帰途にお酒を購入することができず、無粋な帰途の車中だったので(酒屋がなく買えなかった)酒屋探しを、幸いに岡部宿で「有亀」という醸造酒蔵を見つけました。



● 江尻宿あたり(18)

江尻(現在の清水)で、この方は外せません
清水次郎長(本名山本長五郎)」です。次郎長のお墓をはじめ
妻の「お蝶」、子分の大政・小政の墓や遺品が展示され
銅像まであるお寺「梅蔭寺」へ寄りました。
梅蔭寺 お墓
△ 臨済宗のお寺梅蔭寺△ 次郎長・お蝶・大政小政のお墓
銅像 遺物館
△ 清水次郎長の銅像△ 遺物館入口
次郎長生家 次郎長遺物館には、喧嘩頭巾・博具・火縄銃・手甲などなどが展示されていました。

←次郎長の生家

近所の次郎長通り商店街に「次郎長の生家(入場料無料)」があり、次郎長が産湯をつかった井戸などが当時のまま保存され、写真や資料などが展示されていました。
追分羊羹 店主の説明
東海道の街道名物、老舗の「追分羊羹」竹の皮がほのかに香る。
慶喜が好んだ庭を前に店主の説明がありました。




● 府中宿あたり(19)

今の静岡市、この街も電柱がなくすっきりとして近代的な大都会だ。
府中の宿は、徳川家康が晩年を過ごした駿府城の城下町で、
駿府城あとに県庁があり、内堀沿いを一回りした。
慶応4年(1868年)勝海舟の命を受けた山岡鉄舟が
江戸へ向かう西郷隆盛と会見し、十五代将軍徳川慶喜の処遇をはじめ、
江戸城の明け渡しなどが合意された、その会見の地が駅近くのビルの間にあり、碑が建てられていた。
説明板 碑
△ 西郷・山岡会見の地説明板△ 会見の碑


府中宿から丸子宿へ安倍川を渡るが、安倍川橋手前の小公園に由比正雪の墓後だった?・・・
大きな石碑があった。また、安倍川義夫の碑(正直な川越え人夫の顕彰碑)や
安倍川架橋の碑(多額の私財を投じて建設した架橋の顛末を後世の人に伝える)があり、
道をはさんで安倍川餅の老舗「石部屋(せきべや)」がある。
由比正雪の碑 義夫の碑
△ 由比正雪の碑△ 正直な川越人夫の顕彰碑
安倍川架橋の碑 石部屋
△ 安倍川橋架橋の碑△ 安倍川餅の老舗石部屋






● 丸子宿あたり(20)

東海道中膝栗毛や安藤広重の絵で知られる
「トロロ汁」の丁子屋さんで昼食をとりました。
十返舎一九の碑・松尾芭蕉の句碑や細川幽斎の歌碑などがある。
お店の中にも十返舎一九の木像がありました。
標識 丁子屋
△ 丸子宿標識△ 丁子屋
△ 丁子屋さん△ お店の中の十返舎一九木像
△ 細川幽斎の歌碑△ 十返舎一九東海道膝栗毛の碑
←松尾芭蕉の句碑

丁子屋さんにはここ数年機会があり何回か訪れているが、向い側の丸子橋のたもとに碑があるとは知りませんでした。


豊臣秀吉から頂いた羽織が保管されているというので拝見しに「宇津谷」へ寄りました。
宇津谷町並み ←ひっそりとした宇津谷の町並み

両側の家の軒先にはそれぞれの屋号が示されていました。
近所には慶龍寺というお寺があり、宇津ノ谷の峠越えをする旅人を襲う鬼を、旅の僧が団子十粒でだまし退治したとか。旅人は、お寺の地蔵尊に供え物をして旅の安全を祈ったそうです。

お羽織屋の屋号の石川家では語り部?さんが秀吉から頂いた羽織の由来を説明されていました。
屋号 屋号 屋号
語り部 説明板
△ 羽織の由来を説明されています△ 説明板





● 岡部宿あたり(21)

現在の岡部はしっとりとした静かな町である。
岡部町はかっての大旅籠「柏屋」を買い上げ、歴史資料館とし、
国登録の有形文化財とした。この資料館には、商人が泊まった部屋、
武家の泊まった部屋が数々の資料とともに管理されえている。
私が伺った日は、昔のお雛様飾りが展示されていた。
(近日行われるお祭りのために展示したとか)
表示板 柏谷
銘盤 ひな飾り