東海道五十三次
(10月4日・5日 土・日曜日)

第六回 藤枝宿から舞阪宿


今回から出発地点が遠隔地(藤枝から)となったので一泊二日の行程になった。
藤枝から掛川泊で舞阪まで、相変わらず本陣・脇本陣跡や一里塚などを「ここです」「あの先にあります」とかで車窓から見たか見ないうちに通過され、欲求不満になりながらの旅でした。
歩いて辿るのが本来であって、楽なバス旅では仕方がないか?と体力の問題もあり、程度を超えた我慢もやむをえずとバス旅を続けています。



● 藤枝宿あたり(22)

バスで一気に藤枝まで、旧街道に面した藤枝市水守の須賀神社に立ち寄る。
ここには「静岡県指定天然記念物」樹齢およそ500年のクスの木を見学。
所々に昔を偲ばせる松並木を通り、六地蔵・瀬戸の染飯茶屋跡などを過ぎる。
瀬戸川を渡ったところに、本陣という八百屋さんが店を構えていた。
藤枝駅近くのお店「貴久屋」さんで
藤枝名物「瀬戸の染飯」弁当をバスに積み込む、今日の昼飯です。
クスノキ 六地蔵
△ 須賀神社のクスノキ△ 舟形後背に6地蔵が彫られている
染飯弁当 弁当中身
△ 藤枝宿名物「瀬戸の染飯」弁当△ 弁当中身(ボリュウムがあります)
写真の六地蔵そばに堂宇があり、六地蔵尊本体が安置され33年毎に本像の開扉供養をし
信者に拝観せしむる、その他は一切開扉しないとあった。

染飯弁当は、クチナシで染めたもち米を丁寧にお結びにしたもの。
クチナシは足腰を強くし、肝臓や疲れを癒す効果があり腹もちもよく、旅人に好評であったそうです。




● 島田宿あたり(23)

島田市街のど真ん中?に「問屋場跡」と「刀匠碑」が並んであった。
島田宿の産土神で、日本三代奇祭のひとつ「帯祭り」の大井神社を過ぎると
東海パルプ工場そばに、大井川川越遺跡と呼ばれる街並みがある。
問屋場跡石碑 問屋場とは、宿場の中心となる施設で、主に公用の文書や物品、公務旅行者に人足や伝馬を提供し、継ぎ立てを行う施設でした。ここには長である問屋、その補佐役の年寄、事務担当の帳付、人足や馬方の指揮をする人指と呼ばれた宿役人が月交替で詰めていました。
常備人足は136人、伝馬は100匹で、このうち人足30人、馬20匹は特別の場合に備え、さらに不足のときは周辺の助郷村から補いました。飛脚(御継飛脚)は10人が常駐し、昼夜交代で御状箱を継送っていました。
(島田宿史跡保存会資料より抜粋)
島田の刀鍛冶は、室町時代より江戸末期にいたる約400年間の歴史を持ち、繁栄期には多くの刀工が軒を連ね、鍛冶集団を形成していました。島田鍛冶は地方的な存在であったが、戦国大名の今川、武田、徳川などに高くひょうかされ、多くの武将に珍重された。刀剣史上に今なお名を留める秀逸な作品も少なくない。
島田鍛冶集団は、中世末期から近世に至る島田の歴史の中でも、とりわけ燦然と輝いている。
(島田市の島田刀鍛冶の由来から抜粋)
碑


川越しや川留にまつわる物語や数多くの俳句が残され十辺舎一九の東海道膝栗毛に
弥次・喜多が川越運賃を値切ったりしながらやっとの思いで越すはなしや
松尾芭蕉の句碑も多くあり、芭蕉最晩年の西国行脚で4日も川留にあい
川庄屋で俳人でもあった塚本如舟の家に泊まった時の作が
今は静岡銀行島田支店となっている塚本如舟屋敷跡の石碑に彫られている。
芭蕉の句碑 小饅頭の清水屋
△ 松尾芭蕉の句碑△ 島田名物小饅頭の清水屋
大井神社
△ 大井神社
土手石垣 石垣の説明
△ 参道の土手石垣△ 土手石垣の説明
鹿島踊り 大奴
△ 日本三代奇祭「島田の帯祭り」の大名行列の大奴(右)と鹿島踊りのブロンズ像

大井川川越遺跡


川越遺跡図
△ 川越遺跡一覧図
連台 連台
△ 大高欄連台△ 半高欄連台
遺跡街並み 川庄屋人形 人足人形
△ 現在の町並み△ 奥・年行事 手前・川庄屋△ 川越人足
番屋 番屋 番屋
△ 川を渡るには川会所で川札を買う。川札を川越人足に渡す。川越人足は番宿に待機している。
川会所
△ 川会所

余録です。近くに木造橋では世界一の「蓬莱橋」があるとのこと。
ギネスブックに認定登録されているそうです。

全長897.4m 通行幅2.4m 通行料 大人100円 子供10円 自転車100円
看板 蓬莱橋





● 金谷宿あたり(24)

東に大井川、西に小箱根と言われた「金谷坂・菊川坂」や「小夜の中山峠」がある難所。
「本陣」は三軒あった(佐塚屋・柏屋・山田屋)現在佐塚屋は本屋さん、
柏屋は地域交流センターになっている。山田屋は場所がわからなかった。
本陣 本陣
△ 佐塚屋本陣跡△ 柏屋本陣跡

金谷の石畳。平成になって町民一人が一つの石を運ぶ
「一人一石運動」で全長430mの石畳を復元した。
この坂を登るのはかなりきつい、途中の六角地蔵尊があるところで引き返すし、
小夜の夜泣き石へ行き売店で子育て飴を買った。
石畳 地蔵尊
△ 上るのにきつい石畳坂△ 坂の途中にあった地蔵尊
夜泣き石 牧の原のお茶
△ 夜泣き石△ お茶所牧の原の茶畑





● 日坂宿あたり(25)

私はバス旅だが、あるく方々にはあたかも芭蕉街道とでもいえる数多くの句碑が現れるそうです。
日坂の宿は丸子宿と同じで家々には屋号の伊勢屋・千歳屋・備中屋などなど、幼稚園になっている所が扇屋本陣跡であった。
地図
本陣 表札 脇本陣
△ 幼稚園の本陣扇屋跡脇本陣 黒田屋
宿場の現在 宿場の現在
△ 現在の町並み
旅籠 旅籠 高札場
△ 旅籠その1△ 旅籠その2△ 高札場
島田宿あたりからリュックを背負い徒歩で五十三次巡りをされている人々が目に付いたが、
この日坂宿で声をかけてみた、われわれと同じ地方の方で藤枝から歩き始め今日は掛川まで行くとか
われわれの今日の日程と全く同じだ。違いは、バス旅か自身の足で徒歩での旅か。かなりのスピードで歩いている。
年齢をお聞きすると69歳の方、同じぐらいの方々が何人も何人も歩いていました。健康で元気に乾杯です。




● 掛川宿あたり(26)

今日の宿泊地掛川へ到着。駅に近いホテルであった、私は駅に面した部屋であったが
反対はライトアップされた掛川城が部屋からよく見えるようだ。
藤枝から中山峠を越え掛川泊まりで歩いていた方は
この街の何処えお泊まりなのか、健脚でも疲れたのではと思った。
お城 本陣跡
△ 掛川城△ 本陣跡の説明板
信金 長屋
△ 掛川信用金庫△ 掛川市役所出張所の看板があった
旅館? お城の白壁にあわせ街の古風な建物も白壁で良い調和を見せている。
写真は撮れなかったが街の中央にある静岡銀行も瓦屋根の普通の民家風建物で、壁に山内一豊・千代と名馬のレリーフが目立つ。
掛川城は昭和50年(1975年)国の重要文化財に指定された。また、天守閣は平成6年140年ぶりで木造で復元されました。

東海道線列車の車窓からお城がよく見えるので日没から新幹線の終電が通過するまでライトアップをしている。





● 袋井あたり(27)

「ここはど真ん中袋井宿」という看板があり、
「江戸日本橋から数えても京都三条大橋から数えても二十七番目
東海道五十三次のちょうどど真ん中の宿です」
と書かれている。街道筋の店の屋号にも「東海道どまん中桶彦」
とか屋号の前に東海道どまん中とある。
町内の方々がお祭りの準備をされていました。
宿場 本陣
△ 袋井宿場△ 袋井宿東本陣跡
一里塚 石碑
△ 一里塚△ 一里塚石塔





● 三附け宿あたり(28)

遠州見附宿、磐田市になるようだ。遠江国分寺跡や「府八幡宮」があり
ちょうどお祭りに遭遇した。山車もあちらこちらの町内から出てきた。
神社 山門
△ 府八幡宮△ 府八幡宮境内
山車 出店
△ 出発準備の山車△ お祭り恒例の屋台
お祭り お祭り お祭り
△ 神主さんも氏子総代さんも稚児たちとともに、お祭りの開始を待っています





● 浜松あたり(29)

天竜川を渡って浜松へ。宿場というより大城下町、本陣は6軒あったというが
今は静岡と同様、街中は繁華街となって広い道路の歩道側に英語で書かれた説明板が所々に設置されているだけ
我々は遅い昼食を浜松と言えばうなぎ屋さん、「うな炭亭」で食事をとる。
御昼所 ウナギご飯





● 舞阪宿あたり(30)

やや長い松並木を通り舞阪宿へ入る、松並木は一方通行になっていた。
漁船に長い竿があるのを見つけ船にいる方に聞くとフグを釣るのだとか。
宿場 本陣跡
△ 街道の町並み△ 本陣跡 駐車場になっていた
脇本陣 駕籠
△ 本陣向かいに脇本陣がある△ 脇本陣2階の駕籠
説明板
△ 階段状になっている船着場跡「雁木(がんげ)旅人が多く利用した。史跡となっている。