東海道五十三次
(11月8日・9日 土・日曜日)

第七回 新居宿から宮宿


今回も一泊二日。スタートは浜名湖の最南端、現在国の特別史跡に指定されている「新居関所」から、今は名古屋市内となっている「宮宿」まで。

バス旅なのでいくつかの本陣跡など車窓で瞬間チラッと見えたら良しとし、車窓反対だと視認すらできないこともある。

最近五十三次を徒歩で回られた方で、その後夫婦でピンポイントを再度訪問確認され、今回さらに説明つきの私どもと同じバスでの旅をされている熱心な方もいます。
個人で歩くと、ガイドブック片手に自身で目的とする場所を確認し、ただ関所・旅籠を通過するだけ?。
団体でガイド付きの場合、旅籠などで、現地の方・またはご当主が説明してくれるというメリットがある。



● 新居関所(31)

浜松西インターで東名を降り、新居関所へ。浜名湖の西南新居関所「新居関所資料館」を
「入り鉄砲と出女」などの関所の案内人の説明を聞きながら見学する。
関所
△ 国特別史跡 新居関跡
新居関所跡 説明を聞く
△ 新居関跡の建物△ 説明者の話を聞く
説明者が徳川幕府の江戸防衛のための関所の役割や、
関所役人それぞれの配置と役割を説明していました。




● 白須賀宿(32)

静岡県は横長の県だ、東海道の宿場が22ヶ所もある。新居関所から元町へ。
宝永の大津波(1707年)までは元白須賀と言われ白須賀の宿があったところ。
翌年坂上の大地に所替えになった。後方に遠州灘を見ながら急な坂道の潮見坂を上ると古い民家群がある。
宿場地図
汐見坂を上がったところに「汐見坂公園跡」の看板があり中学校が建っていた。
この学校は公園敷地に建っているそうだ。

詳しくは、現地に建てられていた説明板(右の写真)を読んでみてください。
説明板
説明板 現在の建物
△ 現在は、本陣跡に白須賀美容院が立っている
現在の町並みその1 現在の街並みその2
△ 宿場の現在の町並み





● 二川宿あたり(33)

愛知県最初の宿場「二川宿」。東海道線と新幹線がそばを走っている。
本陣跡が豊橋市二川宿資料館となっていた。史跡 二川宿本陣の説明板に、
当初は後藤家が務めていたが再三の火事で没落し、紅林家に本陣職を譲ったが
これも火災で再起することができず、明治3年の本陣廃止まで馬場家が務めていた。
豊橋市で昭和60年本陣当主より、本陣敷地建物の寄付を受け史跡に指定するとともに
復元・改修工事をし江戸時代を再現した(要約)とありました。
本陣跡
本陣線路側 本陣線路側
△ 東海道・新幹線側から
本陣内部 本陣内部
本陣旅籠通り 現在の町並み
△ 旅籠宿から見た本陣跡△ 現在の町並み






● 吉田宿あたり(34)

吉田宿は今、豊橋市になっている。江戸時代には旅籠65軒の大きな旅籠一つとであったようだ。
城址は豊橋公園となり、堀・石垣が残っている。現在宿場の様子は失われている。
今日はここで宿泊、宿へのチェックイン時間が早いので、徒歩で巡った方の案内で東海道の
「淀ノ橋」「京橋」「矢作橋」「瀬田大橋」と共に幕府直轄の五大大橋と云われた
「とよはし」のたもとにある明治12年当時の親柱や、
大正架けられた鋼製5年トラス橋の一部が保管されている場所を見てきました。
吉田城鉄櫓 表札
櫓 本陣跡
△ 本陣跡
石塔 石塔
豊橋記念 説明
本陣跡はうなぎ屋さんだったと思いますが。




● 御油(ごゆ)宿あたり(35)

遠州見附の宿へ通じる姫街道の分岐点。600m続く御油の松並木、
樹齢300年を超え350本以上が保存され、天然記念物に指定されている。
現在の旅籠町 石表示
△ 現在の町並み△ 黒松の並木の表示
松並木 松並木
△ 樹齢300年を超えた350本の黒松が続く





● 赤坂宿あたり(36)

江戸時代から営業し往時の姿を残している旅籠「大橋屋」で、
17代当主の方が旅籠に残る遺物の説明をしてくれました。
今も営業しており、連子格子の二階建て広重の絵のモデルにもなったとかで
江戸時代の雰囲気を残している。
本陣 旅籠
△ 赤坂宿本陣跡△ 旅籠
大橋屋 説明
△ 旅籠大橋屋説明板△ 十七代当主の説明
説明 遷宮札
△ 十七代当主説明その2△ 伊勢神宮遷都時のお札とか
よらまいか 陣屋跡説明
△ 旅行者がくつろげるように「よらまいか」△ 陣屋説明板





● 藤川宿あたりあたり(37)

藤川は宿場としては小さかった。家康が幼少の頃修行したといわれる「宝蔵寺」があり
徳川家の高祖松平親氏公より、松平家代々の菩提所とせられ、
御霊廟が山腹にある。また、新撰組の「近藤勇」の首塚もあった。
10月桜
△ 川っぷちの10月桜が満開でした
10月桜 10月桜
△ 10月桜その1△ 10月桜その2
法蔵寺 説明板
△ 法蔵寺本堂△ 説明板
近藤勇 近藤勇
宿場の現在 藤川の棒鼻
△ 宿場町現在の風景△ 藤川宿の棒鼻(宿場の出入り口)





● 岡崎宿あたり(38)

徳川家康公誕生の地。元亀元年(1570年)家康が浜松城へ移るまで岡崎城に居城していた。
また、「大岡裁き」で知られる大岡越前の守屋敷跡と、西大平藩陣屋跡などがあり、
宿場のの中心だった街道には「二十七曲り」と呼ばれる曲がり角の連続がある。
屋敷跡 陣屋跡
△ 大岡越前の守屋敷跡△ 西大平藩陣屋跡

伝馬通り二丁目の角に老舗「備前屋」がありその通りに、
東海道有数の宿場であった伝馬の歴史の語り部として、両歩道に20基の石彫が、並んでいる。
石彫の横には、解説板が設けてあり一部を掲載しました。備前屋が設置したのかも知れませんね。
石彫1 石彫2 石彫3 石彫4 石彫5
石彫6 石彫7 石彫8 石彫9 石彫10
一つひとつに宿場町伝馬のストリーがこめられて、見ていると楽しくなります。

岡崎公園と岡崎城に立ち寄りました。岡崎は八丁みそでも有名ですね。

能楽堂 家康館
△ 岡崎城二の丸能楽堂△ 三河武士のやかた家康館
からくり時計 胞衣塚
△ 公園内のからくり時計△ この城で生まれた家康のえな(胞衣)を埋めた塚





● 池鯉鮒宿(ちりゅうじゅく)(39)

池鯉鮒では読み方が難しいのか、駅も神社も「知立」と書いて「ちりゅう」と呼んでいるようだ。
来迎寺の一里塚があり道の両側に残っているのは珍しい。
また、一里塚に植える木は榎が植えられたがここの木は松であった。
桶狭間の古戦場跡へも行きましたが、田楽狭間とか舘狭間とかとも呼ばれていた、
狭間という地形ではな様な気もするが、現在は地形が変わったのだろうか。
一里塚 一里塚
△ 松の木が植えられた来迎寺の一里塚
墓 石塔
△ 桶狭間古戦場にある今川義元の墓
本陣 本陣のお寺
△ 今川義元の本陣があったお寺





● 鳴海宿あたり(40)

尾張藩の加護を受けて、作られた絞りの生産地として栄え和服時代の女性が口にした「有松」の町。
有松鳴海絞り会館に並んで建つ商家は塗り込め造り海鼠壁。当時の旅籠街を撮ってみた。
宿場の現在 宿場の現在
宿場の現在 宿場の現在
△ 皆さんが有松・鳴海絞り会館へ行っている間旧街道旅籠の街を撮ってきました。





● 宮宿あたり(41)

熱田宿ともいうのかな?ここは、今は名古屋市内の宿です。尾張から伊勢へに入るのに、
宮(熱田)から海上七里を船で桑名へ行くか、陸路で佐屋に出て船で三里を渡るかがあったようだ。
船着場跡 常夜灯
説明板


今回は、デジカメのバッテリーを充電するため、出発前日にコンセントに差し込み、当日、忘れ予備を持たず来てしまい、
なんとか最後の地まで持たした感じだが、あと、数枚を撮りたかったが残念電池切れになってしまった。