東海道五十三次(全8回12日間)
(5月・6月・7月・8月・9月・10月・11月・12月)

余録とあとがき



● まずは余録を写真集で簡単に

東海道五十三次のゴール「京・三条大橋」で万歳三唱して記念撮影をしたあと、
新撰組ゆかりのお寺「壬生寺」「壬生屯所遺跡」「京都御所」さらに「東福寺」などを見学しました。
壬生寺山門 壬生寺本堂
△ 壬生寺山門△ 壬生寺本堂
墓 像
△ 新撰組の墓△ 近藤勇の像
八木邸 邸内説明
△ 新撰組壬生屯所の八木邸入口△ 邸内で芹沢鴨暗殺の説明
前川邸 説明板
△ 新撰組屯所前川邸△ 現状の説明
京都御所 建礼門
△ 京都御所内での説明△ 建礼門
紫しん殿 清涼殿
△ 紫しん殿△ 清涼殿
東福寺山門 東福寺本堂
△ 東福寺山門△ 東福寺本堂


すべての日程をおえて、最後はお決まりお土産屋さんです
「京漬物の西利」へ立ち寄り、べったら漬けを買いました。




● あとがき

徳川幕府約270年、戦もなく世界に類のない平和が続き、その間今に伝わる日本文化が醸成され、
それが現代日本人の常識の基礎になっていると思っていますが。

今回、東海道を旅してみて徳川家康は国内の秩序づくり(実に上手なシステム構築)をしたと・・・
謀反や争いが起きないように、実にいろいろな定めや掟をつくり(徳川に都合のいいように?)
徳川270年の安泰を継続させ平穏な日々のなか、私たちの先祖が暮らしていた。

東海道五十三次でも、川に橋をかけず容易に渡れないようにとか、
関所・高札場・札場・番所・本陣・脇本陣等など
さらには、参勤交代制で各大名に定期的に散財させ、
大名家族を江戸に住まわせ人質としていた。
などなど、実に巧妙に体制維持のシステムを作り上げていましたね。

今回、バスで巡る東海道五十三次のツアーに参加し、徒歩で、自転車で、バスで
さらに、一人で、夫婦で、仲間と、通しで、一泊二日、二泊三日と
いろいろな方法手段で東海道五十三次や、中山道、甲州街道などを
巡っている多くの方がいることを知りました。

道中都市化した「宿」もありましたが、今も点々と残る当時の姿(景観)を残す
「一里塚」「石造物」「建築物」「仏像」「城跡」「樹木」「畷」が
将来に確実に保存されるようと、電柱の撤去や街道整備計画などなど、
江戸の頃の姿に復元しようと各地で努力されていました。

また、切手収集で五十三次を集め今回のツアーで広重の各宿場ごとのハガキに貼り
各宿場でポストを探し投函している凝った方もいました。

何事も、健康で元気でないとできないことです。




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