中山道六十九次
(平成21年5月12日(火曜日)

今回も、宿場町や旅籠・本陣跡などほとんどなく、お寺さんや神社を巡ってきた。




第二回 鴻巣宿から新町宿



● 鴻巣宿(7)

江戸時代から雛人形の産地で、この宿場で開かれる雛市は江戸十軒店
武州越谷と並び「関東三大雛市」といわれ、現在も人形を商う店が軒を連ねている。

鴻巣公園隣接の「勝願寺」徳川家康もたびたび立ち寄ったとか
三つ葉葵を使用することが許されている。境内には「真田信重夫妻」や「小松姫」の墓がある。
仁王門 墓
△ 仁王門△ 真田夫妻と小松姫の墓
氷川八幡 真田信重は真田幸村の兄で、信州松代藩の藩祖「真田信之」の三男で、慶安元年鴻巣で病没した。母小松姫の縁で当山に葬る。

氷川八幡神社は嵯峨天皇の流れをくむ箕田源氏の由来を記した碑「箕田(みた)碑」がある。



● 熊谷宿(8)

江戸時代は忍野藩領で、絹・織物などの市が立ち賑わった。
また、川越、秩父、足利方面へ通じる交通の要所として発展した。
昭和20年の大空襲でほとんどが焼失し、宿場の面影は皆無である。

本町一丁目に本陣跡の石柱と説明板があった。
本陣跡
石柱 石板
△ 地元百貨店「八木橋」は旧街道上に建っているのか周囲に標識が設置されている
熊谷寺 星渓園
△ 熊谷次郎直実開山の古刹△ 市指定文化財の名勝「星渓園」(パンフレットより転載)





● 深谷宿(9)

戦国時代以前から上杉氏の城下町として発展。寛永4年(1627年)の廃城ごは、宿場町・市場として賑わった。

日本近代資本主義の父と呼ばれる活躍をした「渋沢栄一」の生家がある。
一里塚 城址
△ バスの車窓から撮影した一里塚△ バスの車窓から撮影した深谷城址
黒門 三門
△ 市指定文化財国済寺黒門△ 市指定文化財国済寺三門
本堂 墓
△ 国済寺本堂△ 史跡 上杉憲英公墓
門 生家
△ 渋沢家の門△ 渋沢家母屋
説明 銅像
△ ボランティアの説明 △ 渋沢栄一27歳時の銅像
深谷はネギでも有名ですが、レンガの産地としても栄えた。

深谷駅はその象徴でもあるか?バスの車窓から撮影しました。
深谷駅





● 本城宿(10)

皇女和宮が御降嫁の際くぐったといわれる、本庄市指定文化財の「田村本陣門」
埼玉県指定有形文化財の「旧本所警察署(明治16年建立)」さらに陽雲寺へ寄りました。

田村本陣門 石塔
△ 田村本陣の門本所新八景の案内石柱
旧本所警察署 資料館内
△ 歴史民俗資料館となっている旧本所警察署△ 歴史民俗資料館内部
本堂 供養塔
△ 陽雲寺本堂△ 県指定旧跡「畑時能」の供養塔



● 新町宿(11)

新町宿の開設は遅く享保9年(1724年)笛木宿と落合新宿が合体して成立した。
両町の境に旅籠や茶店が集中していた。現在は面影は残っていないが、
小林本陣跡・旅籠「高瀬屋」跡などの表札や説明板などで往時をしのぶ。
説明石碑
△ 史跡 旅籠高瀬屋跡 小林一茶が高瀬屋に宿泊して七番日記に名文を書き留めた
行在所 行在所
△ 明治天皇が宿泊された新町行在所△ 小林本陣跡の標柱






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