中山道六十九次
(平成21年6月10日(水曜日)




第三回 倉賀野宿から松井田宿



● 倉賀野宿あたり(12)

中山道と日光例弊使街道の分岐点(日光例弊使街道の起点)
説明
△ 日光東照宮に毎年 朝廷からの使いが派遣されていた、これを日光例弊使という
道路標識 常夜灯
△ 街道分岐点標識△ 常夜灯と閻魔堂
脇本陣 脇本陣跡
△ 例弊使街道と常夜灯の説明△ 脇本陣跡石碑
道路標識 常夜灯
△ 脇本陣であった建物△ 脇本陣石碑
高札場 倉賀野神社
△ 高札場△ 倉賀野神社

倉賀野神社では、神主さんが説明してくださいました。
由来はもとより、市指定の文化財となっている本殿の造営にかかわる古文書がきちんと残っていて、
部材・普請などの仕様書や職人の賃金などなどが記載されているとか、彫物師が彫刻した蛙股周辺の説明もあった。




● 高崎宿(13)

慶長3年(1598)徳川家康の命で井伊直政が、
中山道と三国街道の分岐点にあたる高崎に城をかまえたのが高崎藩の起こり。
藩主は入れ替わったが、明治4年の廃藩まで274年藩政を中心に高崎の歴史は展開された。
乾櫓石碑 乾櫓
△ 高崎城石碑 △ 高崎城乾櫓
  茶屋本陣 茶屋本陣
△ 上豊岡の茶屋本陣門△ 本陣建物とお庭
地図 一里塚
△ 群馬県下に唯一残る一里塚の位置図△ 県指定藤塚の一里塚(日本橋から28里)
お寺の看板 本堂
△ お寺の看板 △ 達磨寺の本堂
群馬出身首相 青い達磨
△ 群馬出身元首相の達磨 △ 青い達磨もあります
達磨の産地高崎です、縁起達磨発祥のお寺がありました。
200段の階段を上がった本堂に、願いが叶った?達磨が収められていました。
群馬は、歴代首相を4人も出した県で3人の元首相が祈願した達磨もありました。




● 板鼻宿(14)

文久元年(1861年)孝明天皇の妹「和宮」が、
14代将軍「家茂」との婚儀のため江戸へ来る途中板鼻宿本陣木島家に宿泊した。
石碑 宿泊所
△ 板鼻宿石碑△ 皇女「和宮」が宿泊された本陣書院
説明 説明
△ 旧本陣書院(和宮宿泊所)の説明 その1△ 旧本陣書院(和宮宿泊所)の説明 その2
説明 説明
△ 和宮降嫁の説明△ 和宮様を簡潔に紹介しています





● 安中宿(15)

軽井沢へと向かう山腹に突如現れる東邦亜鉛安中精錬所。
その昔、山腹で煙を上げている威容を見て働いている方々のご苦労を感じたものです
夜行列車で通った時も山腹の工場がこうこうと明かりがついていました。

最近は家庭から出る乾電池のリサイクル事業をしているとか。

郡役所 郡奉行役宅
△ 旧碓氷郡役所旧安中藩郡奉行役宅
案内柱 郡奉行役宅
△ 安中市指定重要文化財となっています△ 旧安中藩郡奉行役宅
武家屋敷 武家屋敷
△ 旧安中藩武家長屋外観△ 旧安中藩武家長屋中庭から
茶屋跡
△ 立場茶屋跡「山田屋」

安中には、同志社大学創設者「新島 襄」の旧宅がある。
そばを通ったが、案内者(説明者)は一言も触れず通過してしまった。




● 松井田宿(16)

碓氷峠越えが中山道として制定されてから(慶長7年 1602)旅人の往来や六斎市で賑わい
信州諸藩の江戸回米の中継地で「米宿」とも呼ばれていた。また、妙義山登山口としても発展した。

五料の茶屋本陣 旧中山道
△ 五料の茶屋本陣門△ 旧中山道の今
五料の茶屋本陣 五料の茶屋本陣
△ 五料の茶屋本陣・お西△ 五料の茶屋本陣・お東
五料の茶屋本陣 五料の茶屋本陣
群馬県指定史跡の「五料の茶屋本陣(お東・お西)」は、
中山道を参勤交代などで行き来する大名や公家などの休息所として置かれたもの。

碓氷関所の門
碓氷関所の門 碓氷関所の門
△ 徳川幕府の確立と安定で「入鉄砲にで女」の取り締まりをした。門柱および門扉は当時使用されていたもの。






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