中山道六十九次
(平成21年7月9日(木曜日)




第四回 坂本宿から小田井宿



● 坂本宿(17)

坂本宿には、本陣が二つあった。下の本陣と呼ばれた「金井本陣」と、上の本陣の「佐藤本陣」
金井本陣は、皇女和宮が宿泊している。佐藤本陣は坂本小学校になった。

旧街道沿いの家の門には、当時の旅籠名であろう「扇屋」「中村屋」とか「脇本陣酒屋」などと表札が掲げられていた。
小林一茶の定宿「たかさご屋」の説明板や、町指定重要文化財の「芭蕉の句碑」などもありました。

金井本陣 金井本陣
△ 金井本陣説明板 皇女和宮が宿泊したとあります△ 手入れされることなく荒れていました
佐藤本陣跡 説明版
△ 坂本小学校発祥の地と石碑がある佐藤本陣跡△ 佐藤本陣の説明板
脇本陣1 脇本陣2
△ 脇本陣跡1△ 脇本陣跡2
公民館 旅籠
△ 現公民館となっている脇本陣跡△ 旅籠屋 かぎや
街道1 街道2
△ 現在の宿場街道1△ 現在の宿場街道2



● 軽井沢宿(18)

浅間3宿(軽井沢・沓掛・追分)の一つ。中山道最大の難所、碓氷峠を控え江戸から信州へ入る最初の宿場。
宿泊や休息をとる人々で賑わったが、浅間山の噴火や火災等で衰退し、
明治以降避暑地・別荘地として有名になりかっての宿並みは商店街に変貌した。

街道の今 土屋写真館
△ 現在の旧街道△ 今上天皇・皇后の写真がたくさんある写真館
つるや旅館 つるや旅館
△ つるや旅館 昔は茶屋だったが明治以後旅館となり、芥川龍之介や堀辰夫も宿泊した
発祥の地 ショー氏銅像
△ 旧街道の坂本宿から軽井沢宿への入口に、避暑地として広く紹介した「軽井沢ショー記念礼拝堂がある。
旧街道 道標
△ 坂本宿からこの道を上がった右側から降りてくる △ 中山道道標





● 沓掛宿(19)

皇女和宮様も宿泊された宿場であり、草津宿の入り口に位置し中山道の旅人ばかりでなく、草津温泉へ向かう湯治客の往来で賑わった。
現在は、沓掛の地名も「中軽井沢」に変わり、軽井沢同様日本有数の避暑地・別荘地となった。

長谷川伸の筆によって生み出された架空の人物「沓掛時次郎」の碑もある。

脇本陣 脇本陣
△ 現在は旅館となっている脇本陣枡屋旅館
表札 浅間3宿の一つ、沓掛の地名は消えて「中軽井沢」となったが、皇女和宮東下の折は宿泊されている。

脇本陣付近に「本陣土屋」の表札があった。和宮が宿泊された由緒ある本陣だそうだが、今は建物はない。





● 追分宿(20)

浅間3宿の一つ、中山道と北国街道(善光寺道)の分岐点で「追分」という地名がついた。
現在、旧街道は国の「歴史国道」に指定されている。

中山道六十九次の中でも道路を挟んで両側(左右)に一里塚が残っている。

一里塚1 一里塚2
△ 左右の一里塚(町木のコブシが植えられていた)豪雨のなか撮影しました
郷土館 石碑
△ 追分宿郷土館△ 追分節発祥の地碑
脇本陣 脇本陣
△ 脇本陣油屋△ 脇本陣油屋建物
街道 街道
△ 現在の街道(1)△ 現在の街道(2)
旧本陣 屋敷跡
△ 旧本陣門柱△ 旧本陣屋敷跡
旅籠 高札場
△ 旧旅籠屋△ 高札場
旅籠 道標
△ 旧旅籠屋看板△ 北国街道と中山道分岐点道標



● 小田井宿(21)

小田井宿は1615年以降、宿駅としての機能が整えられ昭和に入って道の中央を流れていた
用水路も南へ寄せられ本陣・問屋・旅籠などが残っている。
和宮のご昼食休みに代表されるように、多くの姫君の休泊に利用され、「姫の宿」とも言われている。

説明
△ 長野県史跡御代田一里塚説明板
東一里塚 西一里塚
△ 東一里塚 大きな桜が植えられていた △ 西一里塚 こちらは植えられたばかりの桜です
本陣跡 本陣跡
△ 本陣跡 △ 本陣跡2
脇本陣跡 小田井宿
△ 脇本陣跡木柱△ 中山道小田井宿木柱
問屋跡 旅籠
△ 町指定史跡 問屋跡(安川家住宅) △ 旅籠
街道1 街道2
△ 現在の街道 その1 △ 現在の街道 その2




今回は、お天気が良くなく時々豪雨のような雨脚があり時間にも制約あり、撮影も困難でした。

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