(平成21年8月6・7日(木曜日・金曜日) 今回は、鹿教湯温泉へ泊る一泊二日の行程でした。 中山道をたどる旅も、甲州街道と下諏訪で交わる今回で終わり。次は、甲州街道です。 どちらの街道が旅をし易かったのか、検証してみたいと思います。
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△ 徳川家初代から10代までの位牌 | △ 仙石秀久の位牌 |
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かなり強い雨降りであったが 縁結び、長寿の象徴とされ 和宮様も縁起が良いということで お休みになった相生の松を撮りました。 レンズに雨がつき、よい画像ではありませんが |
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![]() | △ 問屋本陣丸山家 | △ 塩名田宿でも最も古式の町屋様式を伝える |
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△ 大和川の屋号の旧家 | △ 雨の日に見つけた(テルテルボーズ?) | |
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△ 女性が念仏を唱和して健康や出産の無事を祈念した十九夜塔・道祖神 | △ 休茶屋の木造3階建の建物 |
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△ 旧中山道 | △ 八幡神社楼門 |
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△ 国指定重要文化財高良神社 | △ 八幡宿本陣跡 |
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△ 旧街道 | △ 宮廷貴族の装いをした祝言道祖神 |
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△ 瓜生坂の碑 | △ 瓜生坂の一里塚 |
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△ 宿場の町並み | △ 脇本陣 |
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△ 本陣跡の歴史民俗資料館 | △ 歴史民俗資料館内部 |
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△ 資料館に何故か?旧陸軍士官学校校長の机があった | △ 軒先につるされた下駄 |
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△ 酒蔵 | △ 「中山道宿場乃地酒造処」と看板 |
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△ 旧街道の現在 | △ 芦屋本陣(土屋家)門 |
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△ 鯱 その1 | △ 鯱 その2 |
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△ 脇本陣 山浦家 | △ 脇本陣跡 |
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△ 旧旅籠、現在も営業している金丸土屋旅館 | △ 笠取峠の赤松並木 |
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△ 薬師堂 | △ 文殊堂 |
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△ 旧街道の現在 | △ 一福処濱屋 |
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△ 長久保宿本陣 石合家 | △ 脇本陣跡 |
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△ 現在も営業中の濱田屋旅館 | △ 旧街道 |
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△ 大火で焼失したが和宮降嫁に備えて再建された | △ 脇本陣翠川家 |
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△ 和田宿本陣で説明者が丁寧に説明してくれました | |
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△ 説明用に黒板に書かれた地図。わかりやすく説枚も上手でした | |
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△ 皇女和宮の下向日程と御宿泊された各宿場名などなど | |
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△ 和田宿現在の町並み | △ 旅籠 大国屋? |
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△ 旅籠かわちや 現在は資料館となっている。 管内で説明をしてくれました | |
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△ 和田宿農家レストラン「かあちゃん家」古代米のご飯でおやきもありました | |
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△ 江戸より五十里 一里塚跡 | △ 国史跡 永代人馬施行所(和田峠接待茶屋) |
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△ 下諏訪宿へ寄った方に、水戸浪士と松本諏訪の連合軍が戦い、戦死した水戸浪士10人余を埋葬した浪人塚 |
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△ 天下の木落とし坂と記された石碑 | △ 屋根の付いている模擬御柱 |
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△ この場所から御柱を落とす | △ 御柱を落とす木落とし坂 |
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△ 来迎寺境内の和泉式部の守り本尊「銕焼地蔵尊」 地蔵さまと「かね」の像 | |
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△ 中山道、甲州街道合流地点 | △ 下諏訪本陣 岩波家 |
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△ 聴泉閣かめや の「上段の間(皇女和宮宿泊)」 | △ 歴史民俗資料館 |
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△ 諏訪大社下社秋宮本殿 | △ 本殿四隅に立てられる4本の御柱 |